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ジョセフ・ヘンリー
アメリカ 1797~1878
物理学者
自己誘導の発見
ニューヨーク州オールバニーの貧しい家庭に生まれ、13歳で時計屋に奉公する。 16歳のときにある教会で”実験哲学講義”という書物を見つけ、これがヘンリーの科学への目覚めとなった。 このあたりファラデーの子供時代とよく似ている。 苦学のすえ1826年に母校であるオールバニー・アカデミーの科学、数学の教授となり、1832年にプリンストン大学に転じて自然哲学を教えた。
1846年、ヘンリーはスミソニアン研究所の初代所長となり、研究の第一線からは身を引く。 スミソニアンにおける天気予報の基礎づくりなど気象学研究を組織する。アメリカ科学振興協会の創立者となり、国立科学アカデミー会長も務めた。
ヘンリーの電磁石実験
1829年、導線を絶縁して非常に強力な電磁石の開発に成功する。 スタージョンの実験を耳にして電磁石の改良に着手する。鉄心とコイル巻数の関係を突き止めることに成功した。
強力な電磁石をつくるためには鉄心に電線を多く巻く必要があり、それには電線そのものを絶縁する必要があった。電線の絶縁材として絹を巻きつけ、巻数の増加を図る。 結果338kgの物体を持ち上げる電磁石を作成し、同年中に1tの鉄を持ち上げる電磁石を開発した。
1830年、電磁誘導の原理を発見する。これはファラデーよりも早いが、ファラデーのほうが先に論文として発表したため電磁誘導の発見者はファラデーとされた。
1831年、電動機についての論文を発表する。発電機の逆の作用が電動機であり、発電機と逆に電気エネルギーを機械エネルギーに変換するものである。現在のモーターの原型はヘンリーによるものといえる。 モーターの語源はラテン語の”動くこと” (motor)に由来する。
1831年、電信機の原理について実験する。電池を電源として、電鍵によって1.6km先の小さな電磁石を遠隔で操作する実験を行う。 しかし、導線の抵抗によりうまくはいかず、この失敗を補うため1835年に継電器を発明する。 継電器により、複数の回路に電流を連絡できるようになった。この成功によりモールスの電信は実現できたといえる。
1832年、自己誘導の発見をする。電信の実験中に偶然、電流の断続時の誘導電圧によるスパークを目撃する。 早速、コイルの形状や巻数、鉄心の挿入などを変化して実験をはじめる。 ファラデーの電磁誘導にはこの自己誘導の部分が含まれておらず、これはヘンリーの発見として認められた。
1842年、電気振動を発見する。コンデンサに蓄えられた電荷をコイルを通じて放電すると電気振動が発生する現象を発見した。
ヘンリーの偉大な点は、数多くの発見をしながらそれを特許として独占しようとはしなかったことである。 裕福な生まれではないヘンリーだが、特許収入よりも科学の発明は全人類の利益のためと考えたようだ。 電信についてはアメリカのモールス、イギリスのホイートストンが有名だが、両者ともヘンリーの技術支援を受けている。 ヘンリーが特許を主張しかったために、電磁石や継電器といった発明を彼らは自由に使用することができ、それぞれが発明した電信機の特許を取得することができた。
電磁誘導であるが、ヘンリーの電磁誘導とならなかった理由は大学の講堂を実験場としており、講堂は夏休みの間しか使えなかったため翌年まで待っていたらファラデーに発表されてしまったということらしい。 ファラデーが発表したあとに慌てて発表したがダメだったようだ。1836年にイギリスへ旅行に行き、ファラデーとの親交が始まる。 権力を拒み生涯一研究者であり続けたファラデー。自分の金よりも人類全体の利益を選んだヘンリー。共通するものがある気がする。
ヘンリーの葬儀にはアメリカ第19代大統領、ラザフォード・B・ヘイズも出席したそうである。
現在ヘンリーの名は、インダクタンスの単位ヘンリー[H]として、SI組立単位に残っている。
Last Update 2009/01/05
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