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パスカル (Pascal, Blaise)

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パスカルという人は

ブレーズ・パスカル ブレーズ・パスカル

フランス 1623~1662

天才的な数学者であり哲学者

フランスのクレルモンに生まれ、パリで育った。 16歳で幾何学の、続いて流体力学、確率論などの数学論文を書く。17歳で円錐曲線に関するパスカルの定理を発見し、同年ガラス工業の盛んなルーアンに移る。 当時のフランスに彗星のごとく現れた天才だったが、惜しくも39歳の若さでこの世を去る。「人間は考える葦である」とはパスカルの残した名言である。

パスカルの主な経歴

1642年、加算器の発明をする。 円周に沿って1から10までの刻み目をつけた歯車が取り付けられた装置で、足し算と引き算ができた。数の読み取りさえ間違えなければ計算誤りの心配は不要であったが、高額であったため普及はしなかったようだ。

1646年、真空存在の確認と大気圧の実証をする。 トリチェリの真空実験を耳にすると直ちに自らも同じ実験に取り掛かる。 水銀のみならず、水、アルコールなども用い、ガラス管の形状も変化させて実験を行う。 1647年、パリのマルガ書店からこれら実験結果を”真空に関する新実験”という小冊子に著し、トリチェリが真空と呼んだ何もない空間を満たしている物質を証明できるまでは、この空間は事実上真空であると宣言した。 しかし、この発言は教会を刺激することになる。

トリチェリの真空実験を追試したのはパスカルに限るものではないが、この実験には長いガラス管と大量の水銀を必要とした。居住地ルーアンがガラス工業が盛んであったことは、パスカルに有利に働いたものとみえる。

1648年、体が弱かったパスカルは義兄ペリエの助けを借り、トリチェリの実験の追試を行う。先の小冊子では、なぜ水銀柱が一定の高さで静止するのかを示せておらず、パスカルはこの原因が大気圧によるものと考えていた。 ピュイ・ドゥ・ドームの山頂と山麓という標高の異なる箇所で水銀柱の高さを同時測定する公開実験を行なう。 1600m登ったところで水銀柱の高さが76cmから69cmに変わり、これにより大気の圧力が証明される。実験結果を”流体の平衡に関する大実験談”と著した。

”大実験談”の中でガラス管の水銀柱がすべて流れ出ないのは大気に”重さ”があるためであり、「自然は真空を嫌う」というカトリック教理の正体は空気の重さに関係する物理現象であると断定する。

1648年、パスカルの原理を発見する。先の大気の重さの実証に続き、水がそれ自身の内にあっても外にあっても、同じく重さをもつことを実証し、”流体平衡論”を執筆する。 いわゆる”パスカルの原理”はここに記されている。

1654年、神の声を聞いたと言って科学から遠ざかり、神学、瞑想に耽るようになる。

圧力の単位・パスカル

現在パスカルの名は、圧力の単位パスカル[Pa]として、SI組立単位に残っている。

Last Update 2009/01/05

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